空飛ぶ車イス
空飛ぶ車イス~元ラガーマン、世界39カ国の旅
著者木島英登氏にお会いしたのは、昨年9月の大阪のシンポジウム会場だった。
彼は高校時代、ラグビー部の練習中に下敷きとなり、脊椎損傷そして両下肢機能全廃。以来車イスでの生活を余儀なくされた。
しかし神戸大学進学、そして就職して一社会人として生活しながらも、幼い頃からの夢だった『自転車で世界一周』をかなえるべく、現在世界39カ国を邁進している。
ご本人いわく、「自転車が車イスに変わっただけ」と。
車イスで舞台へのスロープを颯爽と駆け上がった木島氏は、30歳の元気はつらつ体育会系のお兄ちゃんである。
弁舌爽やかに本書に書かれた旅の体験を語って下さった。
車イスとなって最もショックだったのは、自分が一生歩くことのできない身体になったことではなく、周囲の人々の態度が変わったことだった。(中略)明らかに舐めた態度を取られたり、哀れみの言葉をかけられる場面に何度も遭うようになった。
私自身は何にも変わっていないというのに。
私自身、7歳~18歳まで骨髄炎で歩行困難を余儀なくされた頃に感じていた、そのままの気持ちを見事にさらっと語って下さった。共感を覚えながら、彼の話に耳を傾けていた。
そこから先の彼の行動力は、自分のそれと雲泥の差があるのだけど…
彼の旅は大部分が一人旅。
車イスでの旅は、あちこちで壁にぶつかる。
しかし、彼はある意味それを楽しんでいるようである。また一つ本書を書くネタができた位の。
壁にぶつかる度に、現地の人と接することができる、と思えば車イスでの旅も悪くない、と。
彼が旅した国々、必ずしも車イスに優しい国ばかりではない。石畳の街、階段だらけのホテル、はてしなく続く急な坂道…。日本の方がはるかにバリアフリーは進んでいる。
しかし、人々の心のバリアフリーはどうだろうか?
この20年間に、日本でも障害者に対する意識は大きく変わった。20年前は「障害者」という概念が無かったといってもいい位、障害者は太陽の下を歩けなかった。私自身が肌でそう感じていた。
最近は福祉車両のTVCMをはじめ、旅の仕事でいえば、障害者のツアーなども少しずつ増えてきている。
反面、障害者が一般のツアーに参加するのを拒否されるケースが増えているのも事実。
ツアーの中に障害者がいるだけで「損した」と思う参加客。
飛行機に搭乗するのに、車イスとわかった途端に過去の病歴まで長々と質問してくる日本の航空会社。
私自身、旅の仕事を通して海外での障害者達の生活や旅の様子を垣間見るたびに、ハードだけが先行する日本のバリアフリー事情を悲観することが多い。
相次ぐ宿泊拒否報道には、怒りを通り越して呆れてしまう。
「あなたこそ、心の障害者だ」
と叫びたくなることがある。
その点、彼の旅は楽しそうだ。
エレベーターの無いホテルはスタッフが抱えてくれた。
坂道は、周りの人達が手分けして運んでくれた。
どこの国?どうやって?
は是非、本書で確認して頂きたい。
木島氏が留学先のアメリカの大学で体験した話。
ハイキングの授業があり、彼が先生に「自分もハイキングに参加できるか?」と尋ねた時の先生の言葉。
「君はハイキングに行きたいのか?君の意思はそこにあるのか?」
彼が「Yes」と答えたら、全員で彼も参加できるコースを考え、予定を変更して一緒に行ってくれたのだと。
日本ならまず可能か否かの判断しかない。そこに本人の意思は存在しない。
彼の旅の原点がここにある。
木島氏の講演を拝聴し、本書を拝読し、彼にすっかり遅れをとってしまったと感じた。
私の目的は何だったのか?改めて見つめなおす事ができた。
もう一度原点に戻って自分の役割を見直し、一歩進む勇気を与えてくれた本である。
自分の役割とは…また別の機会に綴りたいと思います。
悔しいから最後にばらしちゃおう!
ある車イスのアメリカ人が1995年に、既にハンドサイクルで世界一周を達成したそうだ。
木島氏いわく「先を越された…」って。
You can do it!
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