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処女航海

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処女航海/原 健 著

もう10年前になるだろうか?
海のF1と称されるヨットレースの最高峰アメリカズカップに「ニッポン・チャレンジ艇」として日本も参戦した時期があった。
著者の原健(はら たけし)氏はそのレースにクルーとして参加し、その後も数々の国際レースに参戦しているヨットセイラーの第一人者である。
以前、アサヒスーパードライのCMにも出演していたが、覚えているだろうか?

彼は、始まりはサッカー選手、で私の後輩だった。

ラーメンで有名な福島県喜多方高校の出身で、高校時代から日本ユース代表に選ばれ活躍していた。
そしてその勲章を引提げて、大学に推薦入学を果たしたのだが…

結局4年間の間にほぼ一度もABチーム(一軍)に入ることなく卒業することとなりました。推薦入学で公式戦出場機会なし、というのは後にも先にもない不名誉な記録だったのではないでしょうか?しかしそれは、将来の切磋琢磨を前提にして選ばれたユース代表、推薦入学という事実を勘違いして、自分を見てくれない、試してくれない、などといった勝手で田舎のお山の大将的なイジケやアマエであり、酒に走り努力を怠った当然の結果だったと今は思えます。そして何よりも、小学校4年で始めて以来僕の全てといっても過言ではなかった”サッカーをする事”が苦痛となってしまったことが最も悲しいことでした。
卒業と共に、自分でも驚くほどあっけなく僕はサッカーをやめました。そしてその甘ったるい感傷に浸りながら、僕はあるスポーツクラブでのアルバイトで金を稼ぎながら、連夜酒場を徘徊して酒をあおる生活を続けたのでした。
(蹴球部報、原健氏本人の手記より一部抜粋)

1年半後、彼はアメリカズカップ初挑戦のニッポンチャレンジクルーに応募し、全くの未経験ながら愛知県蒲郡で訓練を積み、1992、1995年2度のアメリカズカップトライアルであるルイ・ヴィトンカップに出場。そして1993~4年のウィットブレッド世界一周レースへの日本人として初めての参戦、その後15年以上にわたって数多くの国際ヨットレースに、クルーの指揮を執るスキッパーとして活躍。名実共に日本の第一人者となった。

本書では、ヨットレースを共に闘ったプロセイラー、クリス・ディクソンの狂気としかいえぬ勝ちへの執念や南波誠の落水死の瞬間…、時として人間の生をも拒絶する海の壮絶さとそれに対峙し燃え盛る男たちの生命の鼓動が書き綴られている。またピアニスト、サッカーチーム監督(松本育夫氏らしい)、バーテンダー、そして開高健という巨人、7人の男たちのまさに『死さえ受け入れる時』のプライドを鮮烈に描いている。

最近の活躍をTVで眺めながら、私は、サッカーの夢を捨てるきっかけを作ってしまった大学に、彼は二度と戻ってはこないだろうと思っていた。
しかし、こうして久々に部報に自身の思いを寄せてくれ、少なからずほっと安堵感を覚えたのは多分私だけではないだろう。

人の一生とは、大海に出て後戻りできない一回限りの処女航海を続けることではないだろうか

彼の言葉を、今一人で噛みしめながら、無言の叱咤激励を受けているような、そんなこの頃である。


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