あとむの手話2
今朝は猫のように左手だけで顔を洗った。
昨夜よりは多少指が動くようになったけれども、水菜一把、菜箸で持ち上げられないのが、なんとも情けなくて悔しい。まるで象のよう、皺や骨の形ひとつ浮かばない右手の甲だ。
どうせこの顔では外に出られないから、今日は自宅で溜まりに溜まった書類の山を整理した。
書類ケースも一杯になり、取り出そうにもなかなかするりとは出てくれない。そんなときに突然右肩に激痛が走る。
そういえば昨日、右肩から転んだのだった。手を強く打ち付けたので手の甲ばかり気にしていたが、実は着ていた服の右肩も破れかけていたんだっけ。
やりかけた整理も中断するわけにいかず、普段使い慣れない左手を大活躍させて片付けた。ああ、左利きだったら、こんなとき左手で字を書くのになぁ…。
自業自得だから仕方ないけど、これで火曜日の出発にはたして間に合うのだろうか? そんな不安を感じながらも、なんとかして早く普通に動くようにしたい、そんな一心でキーボードを叩いている。
机の上に溜まった書類を取り出していたときに見つけたのが、7月に開催された手話講演会のチラシだった。
そうだ、この時は偶然行けたんだった。まだ手話は殆どわからないから、どれだけ自分に役に立つのかわからないけど、とりあえず出かけていったのだった。
今回の講演は、砂田あとむ氏。
手話の世界では有名な方だそうだが、私にはそれまでまるで予備知識が無かった。
しかし行ってみてびっくり。
会場のお世話係だと思っていた、若いお兄さんが「砂田あとむ」氏ご本人だった。
1977年生まれというから、まだ20代の、まるでアイドルである。
四国に生まれた彼は、映画や演劇の世界に魅せられて上京、独自の視点で映画・演劇はもとより講演・絵画に至るまでデフイズムを展開させている。
手話の講演会など聞いて(見て)もわからない、と思っていた私は良い意味で裏切られた。
通訳が入って下さったというのもあるけれど(笑)、彼の手話は、指先はもとより顔の表情、そして全身をふんだんに使った表現が、一種のパントマイムのようにステージ全体で展開されるのである。
子供の頃からのエピソードや、この世界に入るまで、そのきっかけを作ってくれた恩人との出会いなど、話の中から彼が常に前向きに走ってきたことが容易にうかがえる。
自分の持つハンディは、実はキャラクターなのだ。隠すわけでも同情を求めるわけでもない。日常にあるちょっとした発想や意外なことなどに焦点をあてたデフイズムは、かえって面白おかしく惹きつけてくれるのである。
彼のWEBページがようやく先月公開されたようです。
上の名前の部分をクリックして、彼の世界をちょっとでも覗いてみて下さい。
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