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監督は(元)Jリーガー

TVにまで出るなんて思わなかったなぁ。関東大学サッカーリーグ優勝。
だって、今までこんなこと1度も無かったモン!
大学サッカーって、高校サッカーの延長で少し人気が出たこともあったけど、Jリーグが人気出ても、ここだけは別世界だった。OBとか友人とか、ほんの一握りのファンだけでやってたんだものね。
そんなとこからJリーグに巣立っていった選手達は、毎日がまさに夢の祭典だっただろうね。

しかしJリーガー達は皆いつも華やかな世界で羽ばたいている、というわけでは決してない。容赦ない「戦力外通告」「解雇」…20代半ばで路頭に彷徨うJリーガー達が多いのも事実だ。

木山隆之(きやま たかし)監督。
1995年に筑波大学を卒業後、ガンバ大阪~コンサドーレ札幌~水戸ホーリーホックでプレーしていた。1シーズンに2度の骨折の後カンバックした話は美談として語り継がれている。
だが突然の解雇通告。彼は現役での続行を希望したが、ついに叶わぬ夢となってしまった。そして筑波大学大学院に研究生として在籍して3年、突然舞い込んだ監督の仕事だった。周囲はもちろん、何より一番驚いたのはもちろん本人だっただろう。
反面その重圧といったら…

しかし大変なのはそれだけではなかった。
国立大学(当時)には専任監督に支払う契約料という予算は、当然のことながら、一銭も無い。しかも彼は研究生。得るべき収入の道が全く無い。監督なんてやってたらバイトさえできない。
つまり「ボランティア」として監督を引き受けた訳である。
これではあんまりだからと、先輩や友人達がカンパして集めたささやかな資金をもらって1年間やってきた。
1ヶ月の報酬にも満たない、薄給の私でさえ驚くほどの、ごくごく僅かの契約料だった。
サラリーマンが何年かかっても得る事のできない、多額の契約料をもらってプレーしていた選手が、こんな金額でよく引き受けてくれたものだ。しかも昨年以上の成績を収めなければ、OBが突然の交替劇に納得するはずがない。こんなプレッシャーの中で、彼は昨年、インカレ2年連続優勝を果たした。

今年度は筑波大学技官として、多少なりとも報酬をもらえることになったようだが、独立行政法人といえども私大並の契約金はもらえるべくもない。
これはもう、サッカーをほんとに好きでなければ、とてもじゃないけどやってられないね。

228soccer.jpg木山監督、傍で見ててもほんとに腰の低い人だ。
ほんとだったら、「カズ」のように派手にしててもおかしくないはずなのに、180cmの高い身長がよく低くなる。
でもリーグ戦優勝が決まった直後の、選手達が監督めがけて駆け寄ってきた姿を見てると、信頼されている様子が手に取るようにわかった。
彼のJリーグで培ってきた経験、試合運びのみならず価値観を、酸いも甘いも指導に活かすことができていると、私は信じている。
彼ならば、相太の将来も慎重にかつ着実にそして大事に考えてくれるだろう。彼に託して間違いない、と思えるのだ。

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