桜色舞うころ
今日は母の命日。
実際の墓参りは昨日済ませてきた。例によって独りでこっそりと。
昔懐かしい徳山のデパートでお線香を買おうとしたが見つからず、仕方なく花だけを買った。お墓の花に合うのかどうか知らないけど、私が必ず入れるのはカーネーション。
「母の日」にはもうあげられないから。
自力で行く事ができないから、タクシーで。「球場の近くの墓地」としかわからないのに、いつもタクシーはちゃんと行ってくれる。
「どこからおいで?」
平日の真昼間に墓参りなんて、さぞかし変な客なのだろう、いつも訊かれる。7歳までしか過ごしていないこの街で、私はすっかり異邦人なのだ。
けれども、本当は自分がここで命を落としていたかもしれない交差点やお墓の風景だけは、断片的に記憶に残っている。
この街の桜はもう殆ど終わってしまったようだ。桜前線は明らかに関東に来る前に通り過ぎたらしい。
母が眠る場所の近くには、桜の木があるはず。せめてこの桜だけはまだ残っていてほしいな。なんとなくそんなことを思いながら、タクシーを停め、お墓に向かった。
今日は気温がかなり上昇してきたが、お墓の桜の木は僅かながら、花びらが最後の舞を見せてくれていた。
いろいろな記憶のかけらが、花びらと共に蘇っては舞っていく。
でも、母は私との記憶は何一つ持って逝かなかったのだ。
そんな母に、改めて話しかけていく…届いているかはわからないけど、カーネーションに想いを託して。ただの自己満足かもしれないけどね。
そんなことを、毎年繰り返している。
今年の春は、また一つ大切なものを失って帰ってきた旅だった。
あなたとなら、ずっと何でも語り合える友達になれるかな、と思ったのだけど…
午後、少し時間が空いた私は、やはり足が深大寺に向かっていた。
穏やかな陽光の下、参道を、周りの散策路を楽しげに語らいながら歩く人々に混じって、私は一人、本堂への参拝を済ませ、足早に自転車で駆け抜けていく。
いつもそれだけだが、心の中の自分を唯一吐き出せる一時でもある。
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